Phase009 『東映生田スタジオ』③【真の裏話】

Phase008で、内田らの述懐には多少誇張された部分があるかもしれない、と愚論を述べた。
しかし、ある人物に注目した場合、逆にその信憑性は高まり、概ね真実だったと捉えることが出来るのである。

以下、決して公にはならないエピソードを記し、併せて以前にペンディングとした内容についての真相究明も試みたいと思う。

既述(Phase002参照)したように、「細山スタジオ」で最初に制作されたのは、歌舞伎座テレビ室が手掛けた『新婚さん旧婚さん』(1969年/歌舞伎座テレビ室・日本テレビ)。
その放送期間(1969年7月29日~同年10月28日)を鑑みると、「小日向スタジオ」としての賃貸(使用)期間は、当初の契約では、おそらく1969年6月中旬から同年9月中旬だったと思われる(契約書の類が確認出来ておらず、あくまで憶測)。

しかし、実際に解除されたのは1970年9月30日。
つまり、『新婚さん旧婚さん』放送終了後も約一年間、歌舞伎座テレビ室は、「細山スタジオ」を使用出来る状況にあったのである。
契約が延長され、『新婚さん旧婚さん』を手掛けた後も、同社が何らかの作品を制作していれば考えられなくもない話であるが、その実態は確認出来ない。
しかも1969年の年末には、あの幻の作品『あゝ野麦峠』の制作準備が進められている。
これは、一体どういうことか?

「要は、〝アンちゃん〟だった」(談/𡈽方工作氏)
推して知るべし。
𡈽方氏がそう言うのは、K氏のこと。
そう、歌舞伎座テレビ室との契約時には仲介役を務め、『あゝ野麦峠』制作時には、制作費の管理に携わった人物である(Phase003参照)。
「細山スタジオ」の所有権が𡈽方氏、箕輪氏にあるにも関わらず、彼は、スタジオを始め、建屋については、実際に建築にあたった自分たちにあると主張、両氏の度重なる訴えにも全く耳を傾けず、『新婚さん旧婚さん』制作終了後も、倉庫代わりのように私物相当量を放置し続けたというのだ。
これが、Phase003で明らかとしなかった、一年間の空白を及ぼしたもう一つの理由である。
つまり、K氏による半ばスタジオの私物化が原因であり、『あゝ野麦峠』の頓挫は、寧ろその煽りを喰らったためと考えられる。

そしてもう一つ、前述、実際の解除日〝1970年9月30日〟を目にした段階で、!?と感じられた方はいないだろうか。
Phase002で記したように、『女三四郎 風の巻』(1970年/大映テレビ室・東京12チャンネル)の初回放送日が1970年10月3日であったにも関わらず、契約書では、その二日前の10月1日が大映のスタジオ使用開始日となっている。
その際、「この釈然としない謎は今以って解けていない」とは記したが、実はこの件についても、K氏に着目すれば説明が付く。
つまり、こういう考えである。
実際には、大映は10月1日より前からスタジオを使用しており、その使用開始日X月Y日(8月頃か?)が記載された、賃貸(使用)期間X月Y日~11月15日の本契約書が存在した。
しかし、K氏の私物が相当量あったため、大映側が施設の一部を使用出来ない状態にあり、契約内容とは異なっていたと。
Phase002に掲載した契約書は、実解除となる9月30日、つまりK氏の撤収(全ての私物撤去を含める)を見越して新たに作成されたもの、若しくは諸々のトラブルを想定しての、所謂ダミーではないかと推測する。
事実、その契約書をよく見ると、締結日が空白ではないか・・・。
つまり、1970年初頭から暫くは空白期間があったにせよ、同年夏(8月頃か?)には、「細山スタジオ」は「大映生田スタジオ」と既に呼称されていたということである。

「あれには参った」(談/𡈽方工作氏)
𡈽方氏、箕輪氏の苦悩は続く。
まさかであった。
1970年9月30日付けで契約解除の書類が交わされはしたが、状況は何一つ変わらず、K氏の荷物は放置されたまま。
つまり、10月1日以降も、それ以前と何ら変わらない状態が続いたというのだ。
しかも、その中には、彼が事務員として働かせていたT氏(女性)の荷物もあったという。
こちらについても、推して知るべし。
後々のことを考えると、勝手に処分ことも出来ない。
更に、𡈽方氏らは交渉を重ねたという。
「「あの時は、何度も何度も足を運んで大変だった」と、親父が言っていたのを憶えています」(談/箕輪広実氏)

その具体的な時期は不明だが、最終的には、土方、箕輪の両氏が荷物引渡金、机・椅子代金の名目で代金を支払い、全ての荷物を撤去させたのだという。
そして1971年年明け、今後、「細山スタジオ」とは一切関係を持たない旨の誓約書が、K氏、T氏の連名で提出されている。


P00901S
上:K氏らにより提出された誓約書のコピー


話を元に戻す。
内田らが初めて「細山スタジオ」を訪れたのは、前述の誓約書が出される直前、1970年12月下旬のこと。
𡈽方氏らがK氏らの荷物を最終的に撤去したのは、制作進行の妨げとならないよう、大映との契約が満了となる11月15日以降、その後片付けとタイミングを合わせて行われた可能性が高い。
つまり、この場合、内田らは、ある意味、清浄化された状態を目撃したこととなり、「駆けつけた当のスタジオの中はがらんどう」「側だけのバラック」などの述懐は、決して誇張されたものではなく、まさに彼らが目にした光景だったと言える。
果たして、真相は如何に・・・。

尚、件の誓約書に記された日付は、1971年1月24日。

その日付から「東映との契約を機に、今度こそ何とかしよう」とした𡈽方氏、箕輪氏の確固たる意志を感じるのは愚生だけだろうか・・・。


(編集後記)
以前、K氏について、Phase002で「S社と関係のあったK氏」と紹介しました。
そのS社については、Phase001で「建築請負業者S社」と記しましたが、𡈽方氏のご承諾もあり、今後は「商起」と実社名での表記と致します。それに伴い、記事過去分につきましても、訂正させて頂きます。
𡈽方工作氏、進一氏に、この場を借りて御礼申し上げます。


Phase009 End


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