Phase100 【ロケ地】川崎市多摩区西生田/ふくや

(編集前記)
いつも拙ブログをご覧頂き、誠に有難うございます。
皆様には心より感謝申し上げます。
今回でPhase100という一つの節目を迎えたということもあり、少しイレギュラーをし、ある一軒のお店にスポットを当てて考察を試みたいと思います。




「ふくやの赤弁当食った仲」
「ふくやの赤弁当食った奴でなくては判らない」

通称、「ふくやの赤弁」。
関連書籍において、この言葉が初めて登場したのは、おそらく1995年に講談社より発行された「TV Magazine Hero Graphic Library④ KAMEN RIDER PARTⅡ」と思われる。
同書は、大島康嗣(講談社写真部カメラマン)の活動三十周年を記念して出版された一冊で、当時、彼が撮り続けた貴重なスチールで構成された、謂わば『仮面ライダー』の写真集。
その中に「生田の日々」と題された座談会レポートがあり、次のような思い出が語られている。

大 島「(編:内田有作に)よく言われたけどね、やっぱり、スタッフの一員になるには、同じ釜の飯を食ってね、仕事するのがいいんだって。それで、よく食わされましたよ、赤弁当―」
河原崎「ふくやの弁当!(笑)」
岡 田「赤い入れもんでな、二段重ねになってて、マズかったけど・・・食ってたよなあ(笑)〝おめえら若いんだから、ふたつ食え〟とか言われてさ(笑)」
(注:河原崎・・・河原崎洋夫、岡田・・・岡田勝 共に「大野剣友会」(『仮面ライダー』制作当時))

当所、『東映生田スタジオ』の近くに飲食店はなく、昼食ともなれば、『読売ランド前駅』周辺にまで足を運ばなければならない環境下であった。
しかし、決して近い距離ではなく、更には店舗数が少なかったため、皆で行くと、順番待ち不可避。
結果、短時間での食事を余儀なくされ、中にはありつけない始末もあったというのだ。

そこで、見兼ねた所長の内田有作が、東映の規則に昼食の支給はなかったものの、特例として仕出し屋にお弁当を届けてもらうことを決断。
その仕出し屋、それが『ふくや』であった。

2006年、内田との対談時、『仮面ライダー』で進行主任を務めた佐久間正光は、次のように語っている。
「東撮では、まず出ない。みんな自腹で社員食堂を使うか、家から弁当を持ってくるしかなかったんだよ。それが、生田ではロケ先だけじゃなく、スタジオ撮りをやっている時でもちゃんと弁当が出るんだ」(「仮面ライダーSPIRITS 10」(2006年/講談社)より)

『東映生田スタジオ』に携わったスタッフ&キャスト陣が当時を述懐する際、一つには白飯、一つにはオカズが入った赤いベークライトの二重の弁当、通称〝赤弁〟を口にする者は決して少なくない。
前述〝マズかった〟とあるように、中には「猫も跨いで通る弁当だ」と揶揄し〝猫またぎ弁当〟と呼ぶ者もいたと云うが、一方では「どうしてどうして、味だって悪くなかったと思いますよ。だいたい平さん(編注:平山亨)なんか、いつも弁当が配達される昼の12時過ぎを見計らってスタジオに現れては「弁当、残ってますか?」なんて言って、美味そうにパクパク食ってたんだから(笑)」(「新仮面ライダーSPIRITS 2」(2010年/講談社)より)と、内田が述懐しているように、好評だったと口にする者もいる。
『仮面ライダー』で助監督を務めた梅田味伸も、「なかなか立派な弁当だったなあ。あれには感謝ですよ」(「仮面ライダー冒険王◆秘蔵写真で見る仮面ライダーの世界◆」(2017年/秋田書店)より)と語っている。

お弁当自体、最初は在りものの器だったが、藤岡弘が怪我で現場を離れた辺りから弁当箱に切り替わり、間もなくして、彼らの脳裏に焼き付いている赤いベークライトの二重の弁当箱になったという。
『ふくや』の大将は、それをスタジオだけでなく、おばけマンション(町田市能ヶ谷)、更には三浦半島の荒崎や剱崎など、遠方ロケ地へも、毎日毎日、届けたというのだ。

では、一体、その『ふくや』は何処にあるのか?或いは、あったのか?

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上:「仮面ライダーSPIRITS 受け継がれる魂Ⅱ」(2003年/講談社)より転載
これは、2003年、講談社より発売された「仮面ライダーSPIRITS 受け継がれる魂Ⅱ」に掲載された『ふくや』店頭の写真。
その解説には、「生田スタッフの空腹をおぎなっていた「ふくやの赤弁」でおなじみ、小田急・読売ランド前駅近くの定食屋。現在は中華料理屋に」とある。

そこで、実際に訪れてみると・・・。

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上:2009年8月
解説文にあるように、「ふくや」は残念ながら既に閉店。
2009年8月の段階では、その中華料理屋も閉店しており、ギフトショップとなっていた。

因みに、上掲『ふくや』の写真を見ると、(南)隣はカラオケボックスであるが、その変遷からすると、1995年頃に撮影されたものと推察される。
尚、解説文中にある中華料理屋とは、「中国名菜金華飯店」というお店であった。
またその跡地には、つい最近まで整体治療院が入っていたが、昨年末に訪れてみると、窓ガラスには何枚かの店舗募集中の張り紙が・・・。

ここで、『東映生田スタジオ』が存在した前後数年間の『ふくや』の変遷を辿ってみると・・・。

(各々、左が現・渡辺生花店部分、右が現・空き店舗部分)
1969年 中華食堂ふくや おにぎり静香 
1971年 中華食堂ふくや おにぎりふくや 
1973年 中華食堂ふくや (1階)バー静(2階)おにぎりふくや 
1975年 ふぐ料理ふくや(左右どちらにあったかは不明。おそらく右側)
1979年 ふぐ料理ふくや(左右どちらにあったかは不明。おそらく右側)
1982年 中華料理店(店名不明) 定食ふくや 
2000年 渡辺生花店 そば和食ふくや
2017年 渡辺生花店 空家  

一目瞭然、バラエティに富んだ見事なラインナップではないか。
『ふくや』に対しては、〝仕出し屋〟〝定食屋〟といった和のイメージを当然の如く抱いていたが、実は中華料理にふぐ料理と種々の形態、変遷を経て来たのである(1980年代後半には改築工事が行われ、後に「松澤ビル」となっている)。

『東映生田スタジオ』に赤弁の配達が開始されたのは、「中華食堂ふくや」「おにぎりふくや」の二店舗が併設されていた1971年で、その性格からして、提供はおそらく後者からされていたものと思われる。
そして、実は前者、つまり「中華食堂ふくや」があった頃の姿が、ある『東映生田スタジオ』作品に記録されている。

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左:『どっこい大作』第13話より
右:2017年12月
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左:『どっこい大作』第13話より(映①)
右:2017年12月
それが、この『どっこい大作』第13話「ぶちわれラーメンドンブリ!!」のカット。
珍竜軒の麺とタレを売り込みに東奔西走するシークエンスの一つで、大作(演/金子吉延)は「小田急OX読売ランド店」の方から南に向かって走って来て、一軒の店舗前で立ち止まる。
この時、左に紫の暖簾が映し出されるが、これは「バー静」、及び「おにぎりふくや」の入口。
因みに、映画像①右側に、〝カイト〟〝ランドリー〟の文字が確認出来るが、これは、当時、現在の「スズラン美容室」の場所にあった「洋品 カイト商会」と「東洋ランドリー」の看板である。
また、映画像手前に写るのは、バイク後部に備えられた出前機と考えてまず間違いない。
そして、大作は店頭看板を確認し、入店する。

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左:『どっこい大作』第13話より
右:2017年12月
こちらが、その店頭看板。
カメラが高速でパンをするため、明確な解読は困難だが、右側の文字は『ふくや』の〝ふ〟と思われる。
そして、映像を見る限り、大作は確かにこの看板下の入口へと向かっているのだが・・・。

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上2枚:『どっこい大作』第13話より
入店後のシーン。
おそらく実際の店内と思われるが、背後に映し出される食器類から推すと、隣の「バー静」、或いは「おにぎりふくや」の方で撮影されたのではないだろうか。
因みに、劇中、この麺とタレは好評を博し、青山柾江(演/桜むつ子)が夫・儀三郎(演/多々良純)に「あんた、また注文があったわよ。來々軒、一日300食のね、タレと麺を入れて欲しいって」というシーンがある(この遊び心、気付かれた方もいるだろう)。
因みに・・・。

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上2枚:『好き!すき‼魔女先生』第5話より
愚生は、『好き!すき‼魔女先生』第5話「いじっぱりハモニカさん」で使用されたこちらの店内が、「中華食堂ふくや」では?と考えている・・・(あくまで憶測)。
尚、掲載した映画像に写る客は、同作品で助監督を務めた長石多可男、同じく進行主任を務めた伊東暉雄と思われる。
ところで店内と言えば・・・。

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左:『どっこい大作』第48話より
右:『どっこい大作』第52話より
左に掲載したのは、『どっこい大作』第48話「青い鳥が逃げる!!」で、製パン「サンジェルマン」工場の西原課長(演/梅津栄)が、仲違いが絶えない大作と平山(演/山本正明)を見兼ね、「人と人との和を作ろうじゃないか!」と二人を飲みに誘ったシーン。
一方、右に掲載した『同』第52話「父と母と成人式」の映画像は、かつて日本一と呼ばれていたにも関わらず、息子(演/吉田守)の死を機に包丁を置いた板前・勝田金治(演/桂小金治)が、大作の話を聞き、再び奮起するシーン。
一目瞭然、異なるエピソード、異なるシーンではあるが、これらは同じ店内だということが分かる。

では、何処か?
当初、うどんと蕎麦を主にしていた『らんど戸隠』、或いは『Snack司』(共にPhase026参照)の、かつて多摩美にあった二軒の何れかでは?とも考えたが、映し出される様相からして違うだろうと結論。
そこで、この店内、今は無き『ふくや』だと仮定し、あるお方に話を伺うこととした。

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上2枚:『どっこい大作』第48話より
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上2枚:『どっこい大作』第52話より
「入って左にカウンターがあり、右に座敷・・・、あァ、こんな感じでした。記憶が曖昧ですが、淡い木目調の店内で、『ふくや』に似ています」
この映画像を見てそう仰ったのは、「ロケ地まち案内」(「まんじフラワーショップ」改題)管理人のモリリンさん。
実はモリリンさん、学生時代にこの近くでアルバイトをされていたという。
「昼は社員さんと一緒に行っていたのですが、何故か『ふくや』か『來々軒』の2択しかありませんでした。『ふくや』はハムカツが美味しかったのを憶えています」
なんとも羨ましい体験談ではないか!
但し、氏がアルバイトをされていたのは1996~97年頃。
前述したように、その頃は改修工事が行われた後で、既に「松澤ビル」(「そば和食ふくや」)となっていた時期。
「リフォーム後だと思いますが、(映画像に写るのと)店内構成は殆んど同じです」
厳密には時期が異なるため、確定とまではいかないものの、映画像に写る店内が『ふくや』の可能性は十分に考えられる(因みに、食器棚背面板の有無の違いがあり、上掲第13話の映画像に写る店内とは明らかに異なる)。
更に推考するならば、1973年秋口までに「バー静」から「ふぐ料理ふくや」へと移行しており、撮影はその後間もなくして行われたのではないだろうか。

ここで、当店内が『ふくや』だと推考する理由をもう一つ示したいと思う。

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上2枚:『どっこい大作』第52話より(左:映① 右:映②)
掲載した映画像は、『どっこい大作』第52話で、勝田金治が再び包丁を握り、鯛を捌くシーン。
映画像①は、手元から上半身、顔とパンするため、金治役の桂本人が実際に演じたことが、映像からも明らかである。
この後、その見事な手捌きに拍手を送る大作、一宮男爵(演/大泉滉)・・・と次々に切り替わり、やがて刺身に切り分けるカット、つまり映画像②となるのだが・・・。

2016年11月26日、そこに至った経緯の詳細は控えるが、愚生はあるお方とお会いしている。
「厨房で、手だけを撮影されたこともありました」
そのお方とは、『ふくや』の元女将さん(以下、女将さん)。
『どっこい大作』とは明言されていないが、仰ったのは、間違いなくこの映画像②のカットのことと思われる。
その指先は、映画像①に写る桂小金治のものとは明らかに異なる瑞々しいもの。
店内の映画像と併せて確認頂ければ、事は簡単に解決出来たのかもしれない。
しかし、当日は緊張していたのか、この件については全く触れずという大失態・・・が、女将さんの証言とそれに合致するカットの存在は、単なる偶然ではないだろう。
映画像②で鯛を押さえるこの指先は、当時の女将さんのものと考えてまず間違いない。
『どっこい大作』第48話、及び第52話の店内シークエンスは、間違いなく『ふくや』で撮影されたものと推考する。


あれから約半世紀が経過。
にも関わらず、まるで昨日のことのように、女将さんは往時を振り返り他にも数々の思い出を語ってくださった。
以下、その貴重な証言を列挙したいと思う。

まずは、「ふくやの赤弁」について―。
「下が白ご飯、上がおかずの二段重ね。赤い容器の日替わり幕の内的な弁当でした。魚を焼いたものとか、簡単な揚げ物とか・・・。最初は確か一人前220円で、それが230円、やがて250円に値上げさせて頂きました。食材も徐々に高くなっていきましたから。それを1回40~50人分ぐらいだったと思います。スタジオや鶴川のおばけマンション・・・、ご存知ですか?それから多摩川を越えたスタジオにも届けていました。配達は、途中から一日2回というのもありましたし、増えていきましたね」

その器について―。
「1個か2個ぐらいなら探せば出てくるかもしれませんが・・・、捨ててしまって、おそらくもう無いと思います。最初は赤いベークライトの器だったんですけど、途中から扇形の器に変更したこともありました」
これは初耳だった・・・、「ふくやの扇形弁」というのも存在したのである。
その理由を訊ねると、女将さん曰く「内田さんが「みんな、飽きちゃう」って仰ったので、せめて器だけでも変えてみようと思いました。内田さんの一言が切っ掛けです。中身についてもよくご意見を頂きましたし、相談しながら決めることもありました。「今度は、こんなのどうか?」「こうしよう!」とか」と。
内田とは、当然、内田有作のことで、女将さんは非常に印象に残っている人だという。

内田有作について―。
「誰に対しても気さくな方でした。気取った感じも全くない、如才ない人でしたよ。身なりもその辺りの人とそれほど変わりませんでしたしね。お兄さんの一作さんもいい人でしたし、一作さんの奥さんも凄く優しい方でした。私たちも行かせて頂きましたけど、その奥さんが亡くなられた時(編注:事故死 1976年4月7日)の一作さん、有作さんの落ち込み様は相当なもので、今でもはっきり憶えています」

他に憶えていらっしゃる方について―。
「江波杏子さんやなべおさみさんはよく来られましたね。なべさんなんか、繁忙時には自ら厨房に入って手伝ってくれてましたよ(笑)あと、山本リンダさんもしょっちゅう。実際は色んな方が来られていたのだと思います。でも、あの頃、私は俳優さんらにそれ程興味がなかったものですから。あと息子が『仮面ライダー』に出さして頂いたこともあります」
江波杏子は『女三四郎 風の巻』(1970年/東京12チャンネル)出演時、なべおさみは『新婚さん旧婚さん』(1969年/歌舞伎座テレビ室・日本テレビ)出演時と考えて間違いないだろう(Phase002参照)。
尚、ご子息の『仮面ライダー』出演シーンについては、残念ながら具体的な把握が出来ていない。

最後に内田有作について、女将さんはこうも仰っていた。
「内田さんは、お店の2階でしょっちゅう打ち合わせをされていましたよ、確か佐久間さんという方と(編注:進行主任の佐久間正光と思われる)。お酒飲みながら(笑)本当にお酒がお好きな方でしたね。お店を出られる頃にはイイ感じで、よく『仮面ライダー』の歌を大声で唄いながら帰路に就かれていました・・・。」

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上:2014年9月
今から約半世紀近く前、此処には、夜空にこだまする『仮面ライダー』の唄があった・・・。


「やっぱり食いものを一緒にしないと作品を一緒に作るという連帯感が生まれにくい。まずそこがあって監督を中心に現場がまとまるという。何かにつけて連れ立って酒飲んじゃうとかメシ食っちゃうとかいうのが、その連帯感の証みたいなとこはどうしてもある。それは大事なことだと思いますよ。不思議なもんで、そういうのがあると何も言わなくてもカメラマンがいいポジションに入ってくれたり、いいカッティングしてくれたりする。(中略)大げさに言うと、あの福屋の赤弁当を現場でみんなで食べた、あの連帯感というところから日本の映像界は考え直さんといかんと思うね」(談/内田有作 「魂の仮面ライダー爆談‼[COMPLETE+]」(2011年/辰巳出版より)

内田は、少ない予算を何とかやり繰りし、「ふくやの赤弁」を支給し続けたという。
ある意味、『東映生田スタジオ』における仲間意識のシンボルだった「ふくやの赤弁」。

彼は、よくこう言っていたという。

「ふくやの赤弁当食った仲」
「ふくやの赤弁当食った奴でなくては判らない」



(主参考文献)
「TV Magazine Hero Graphic Library④ KAMEN RIDER PARTⅡ」(1995年/講談社)
「仮面ライダー名人列伝」(1998年/著 平山亨 風塵社)
「仮面ライダーSPIRITS 受け継がれる魂Ⅱ」(2003年/講談社)
「仮面ライダーSPIRITS 10」(2006年/講談社)
「新仮面ライダーSPIRITS 2」(2010年/講談社)
「魂の仮面ライダー爆談‼[COMPLETE+]」(2011年/著 村枝賢一 鴬谷五郎 辰巳出版)
「仮面ライダー冒険王◆秘蔵写真で見る仮面ライダーの世界◆」(2017年/秋田書店)

(映画像掲載作品)放映順
『好き!すき‼魔女先生』第5話「いじっぱりハモニカさん」(1971/10/31放送)
『どっこい大作』第13話「ぶちわれラーメンドンブリ!!」(1973/4/2放送)
『どっこい大作』第48話「青い鳥が逃げる!!」(1973/12/10放送)
『どっこい大作』第52話「父と母と成人式」(1974/1/14放送)



(謝辞)
大変ご多忙にも関わらず、愚生の取材にご対応頂きました『ふくや』の元女将様。
公の出版物において語られることのない貴重なお話の数々をご教示頂き、誠に有難うございました。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。

また今回、貴重なご証言を頂きましたモリリンさん。
掲載にご承諾頂きましたことも併せ、この場を借りて心より御礼申し上げたいと思います。
本当に有難うございました(尚、モリリンさんが開設されている「ロケ地まち案内-東映大泉作品ロケ地検証紹介サイト-」のリンク先を貼っておりますので、そちらも是非ご覧ください)。


(編集後記)
拙ブログを立ち上げましたのが、昨年の1月23日。
当初の目標として、自分の中では「一年間でPhase100」を掲げていたのですが、何とかクリアすることが出来ました。
全くの素人がここまで継続、クリア出来たのも、皆さんのご指導、ご鞭撻のおかげだと切に感じております。
改めて拙ブログをご覧頂いてる皆様には、心より感謝申し上げます。
また常日頃より情報交換をさせて頂いておりますFさん(「不思議コメディーと東京の風景」管理人)、MGGさん(「Looking for locations.」管理人)、EROOYAJIさん(「どっこい!どっこい‼」管理人)、コロンボさん(「コロンボの特捜最前線日記」管理人)、harryさん、モリリンさん(「ロケ地まち案内」管理人)、yart先生さん(「仮面ライダーロケ地大画報」管理人)、本当に有難うございます。

そして、拙ブログ作成の根幹を形成してくださった𡈽方工作氏、𡈽方進一氏、箕輪広実氏。
御三方には、ここで改めて感謝の意を表したいと思います。
本当に有難うございます。

Phase100・・・、とうとう、気付けば、ようやく、いつの間にか・・・、色々な思いがします。
今後も同志の皆様から頂いた「真実は後世に伝えるべき」という言葉を胸に、ブログ更新を続けていきたいと考えおります。
引き続き、ご指導、ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

尚、今回取り上げました店内情報につきまして、何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ご連絡頂ければ幸いです。


Phase100 End


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