Phase022 『東映生田スタジオ』④ 【第1ステージの謎】

(編集前記)
ロケ地に関する記事を暫く続けましたので、久しぶりに『東映生田スタジオ』にについて記したいと思います。
前回掲載分は、phase009 『東映生田スタジオ』③ 【真の裏話】(2017/2/14)ですので、それ以前の記事も含めてご参照頂ければ幸いです。



東映(東京制作所)と「細山スタジオ」との間で交わされた賃貸契約について、関連書籍には「1971年、年明け間もない頃」、或いは「1971年1月」といった記載はあるものの、その具体的締結日は何処にも見当たらない。

1971年1月23日という日付は、本契約書、及び覚書の発見によって明らかとなった。

尚、『東映生田スタジオ』には、最終的に第1ステージ、第2ステージ、第3ステージの三棟のスタジオが存在したが、当初はまだ第3ステージは建てられていない。
また、『東映生田スタジオ』における第1ステージ、第2ステージを、「細山スタジオ」ではそれぞれ第2ステージ(№2ステージ)、第1ステージ(№1ステージ)と呼称していたが、その他の施設も含めて、以下、注釈を記さない限り、本項では『東映生田スタジオ』での呼称で統一する。

S023001 S023002
上2枚:1971年1月23日付で交わされた契約書(以下、契約書①)の一部。
右にある石田人士とは、内田有作に新番組(『仮面ライダー』)制作を言い渡した人物である(Phase006参照)。

契約書①における契約期間は、1971年2月1日から同年4月30日までの三ヶ月間。
その対象物件は、以下の四施設であった。
・第2ステージ
・変電室
・スタッフルーム
・生田美術・小道具倉庫

ここで、すぐさま異論を唱えた方もいらっしゃるだろう。
「『仮面ライダー』のクランク・インは、第1話「怪奇蜘蛛男」における本郷猛の改造手術シーンであり、それは1971年2月7日、第1ステージに組まれたショッカー・アジトのセットで行われたはず」だと。

確かにそのとおりである。
しかし、契約書①には、第1ステージの文字が何処にも見当たらない。
一体、どういうことだろうか?

実は、もう一つ、同日付で交わされた覚書(以下、覚書①)、更には第1ステージも対象物件として記載されている契約書(以下、契約書②)と覚書(以下、覚書②)が存在したのである。
そこに何かヒントがあるのではないだろうか?
以下、考察してみたいと思う。

1月23日付で交わされた覚書①には、「貸主(𡈽方氏、箕輪氏)は、第1ステージを貸主(東映東京制作所)以外の第三者に賃貸する場合は、予めその旨を通知の上、了承を得なければならない。但し、その時点において、希望する場合、借主は優先的に当ステージを賃貸出来る」といった趣旨の内容が記されている。

S023003 S023004
左:1971年3月1日付で交わされた契約書(以下、契約書②)の一部。
内田の印は、おそらく内田有作のものと思われる。
右:同日付で交わされた覚書(以下、覚書②)の一部。

契約書②の対象物件は、以下の五施設。
・第1ステージ
・第2ステージ
・変電室
・スタッフルーム
・生田美術・小道具倉庫

ここで、契約書、及び覚書に則り、一度整理したいと思う(■・・・変電室、スタッフルーム、生田美術・小道具倉庫)。
1月23日・・・・・・・・・・・賃貸契約①締結(覚書①含む)
2月1日~28日・・・・・・・・使用(第2ステージ+■)
3月1日・・・・・・・・・・・・賃貸契約②締結(覚書②含む)
3月1日~4月30日・・・・・・使用(第1ステージ+第2ステージ+■)

真相は如何に―。
上記した覚書①の内容と、クランク・インを考慮すると、契約書①、及び覚書①が交わされた1月23日以降、遅くともクランク・イン前日の2月6日までに、東映(東京制作)側は、第1ステージについても賃貸を希望し、𡈽方氏、箕輪氏も承諾したと考えてまず間違いないだろう。

ではそもそも何故、同じ「細山スタジオ」の施設であるにも関わらず、1月23日の賃貸契約①締結時に、第1ステージを盛り込まなかったのか、以下に考察してみたいと思う。

まず以って、春の放送開始まで残された時間はあと僅か。
にも関わらず、制作拠点となるスタジオが確保出来ていなかった状況は、東映(東京制作所)、殊に内田有作にとっては、文字どおり危急存亡の心中だったはず。
最低限1クール分の制作に必要な期間(少なくとも三ヶ月ぐらいか?)が賃貸出来さえすれば、スタジオのスペースが余程狭く無い限り、例え一棟だけでも契約を締結したかったに違いない。
そのため、まずは〝スタジオの確保〟を実現させることを優先とし、前述、最低限必要な条件(対象施設)がクリア出来てさえいればよいと判断、その後の使用も鑑み(不測の事態に備え)、第1ステージを対象とした覚書①を準備したうえで、契約書①を締結したのではないだろうか。
或いは、当契約締結時、例の荷物が第1ステージにまだ多少残っていたのだろうか・・・。
これはあくまで憶測の域だが、少なくとも東映側が、間もなくして第1ステージに関しても賃貸を希望したことは、史実からしても疑う余地は無い。

では、何故、東映側が、第1ステージの賃貸を希望した段階(1月23日~2月6日の何れか。但し、セットの組み立てを考えれば、前日の2月6日は有り得ないのではないだろうか)で、別途、契約書は作成されなかったのだろうか。
契約書②、つまり3月1日付で交わされた契約書の第13条には、「本契約締結と同時に、1月23日付で締結した賃貸契約は失効する」旨の記載があり、1月24日以降、2月末日までの間に別途契約書が作成されていないことは明らかである。
この点について、箕輪氏のご子息・広実氏から大変興味深い証言を得ているので紹介したいと思う。

「親父(編注:正治氏)は、日取りを決める時、切りが良い日を好みました。例えば、この件について、実際には1月24日から第1ステージが使用されていたとしても、契約開始日は2月1日にしたと思います。ですから、契約(編注:契約書②)上、契約期間が3月1日になっていることから考えて、東映は2月に入ってから第1ステージを使わせて欲しいと言ったと思います。もしも、1月中に使いたいと言ってきていたら、第1ステージを盛り込んだもの(契約期間は2月1日~4月30日)に作り直し、再契約したと思うんです。この契約書(契約書①)の日付が1月23日になっているのは、最初の契約だったので、実際の日付通りにしたんだと思います。つまり、2月に入ってすぐに、東映は第1ステージについても賃貸を希望、親父たちは、2月中は無償で貸し、3月1日という切りの良い日付でこの契約(契約書②)を結び直したんじゃないかと考えられます。親父は、そういう性格でした」(談/箕輪広実氏)

残念ながら、箕輪正治氏は既に他界されており、また𡈽方氏も憶えていらっしゃらないとのことで、真相は藪の中。
しかし、正治氏の性格を熟知している広実氏の証言は大変興味深く、且つ経時的にも辻褄の合う考察と言えよう。
現段階では、広実氏の推察に則ったこの経緯が、最も信憑性が高いと思われる。

ここで、氏の推察に則り、改めて経緯を時系列にまとめてみると以下のようになる。
1月23日・・・・・・・賃貸契約①締結(覚書①含む)
2月1日~X日・・・・・使用(第2ステージ+■)
2月X日・・・・・・・・東映が第1ステージ使用を希望し、𡈽方、箕輪両氏も了承
2月7日・・・・・・・・クランク・イン
2月X日~28日・・・・使用(第1ステージ+第2ステージ+■)
3月1日・・・・・・・・賃貸契約②締結(再)(覚書②含む)
3月1日~4月30日・・使用(第1ステージ+第2ステージ+■)
■・・・・変電室、スタッフルーム、生田美術・小道具倉庫
X日・・・不明(但し、2月1日~6日と推察される)

因みに、スタジオの運営について、広実氏はこのように仰っている。
「二人の間に明確な役割分担はなかったようですが、交渉は主に𡈽方さんと親父の二人で、経理や事務などの細かい仕事は専ら𡈽方さんに担当してもらっていたようです。生前、親父からそのような話を聞いたことがあります」(箕輪広実氏)

以上、当初のスタジオ使用について、新たに発見された契約書、覚書をもとに考察を試みた。
これら資料は、『東映生田スタジオ』の歴史を知る上で、史料的にも大変貴重なものではあるが、当初、𡈽方氏、箕輪氏、そして石田人士(東映東京制作所)所有用に各々三部ずつ作成されたものの、少なくとも箕輪氏所有分については、残念ながら既に現存しない。

何れにせよ、『東映生田スタジオ』の正式な開設日は、1971年2月1日であったことは断言出来る。


(編集後記)
今回、第1ステージの謎につきまして、愚生なりに考察を試みました。
と申しましても、所詮はド素人の考え。
実は○○ではないか、△△ではないだろうか・・・などのご一考、ご意見が御座いましたら、お聞かせ願えれば幸いと存じます。
宜しくお願い致します。

尚、今回、記載しております契約書、及び覚書は、その性格上、写真も含め、詳細な掲載は控えさせて頂きます。
一部掲載しました写真は、𡈽方工作氏、𡈽方進一氏のご厚意によるものです。
両氏には、この場を借りて御礼申し上げます。


Phase022 End


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