Phase003 「細山スタジオ」➂

最初に、これまでの経緯をまとめてみると・・・。

1969年6月上旬(5日か?):「細山スタジオ」開設
1969年7月29日~同年10月28日:『新婚さん旧婚さん』放送
 (「小日向スタジオ」:使用期間は1969年6月中旬~9月中旬か?)
1970年10月3日~同年12月26日:『女三四郎 風の巻』放送
 (「大映生田スタジオ」:使用期間は1970年10月1日~11月15日)

こう見ると、『新婚さん旧婚さん』制作終了から『女三四郎 風の巻』制作開始まで、実に約一年もの空白期間があったことが分かる。
どういうことか―?
現段階で考え得る理由は二つあり、今回はその一つを記したいと思う。

・・・の前に。
『仮面ライダー』関連書籍数冊に、同作品以前、「細山スタジオ」では『旅がらす くれないお仙』(1968年/東映・NET)の制作が行われたとの記述が見受けられる。
当作品は、女渡世人のお仙(演/松山容子)と、その子分でスリの名人・かみなりお銀(演/大信田礼子)の珍道中を描いた時代劇で、1968年10月6日から1969年9月28日にかけて全五十二話が放送された。
しかし、先の記述は事実ではない。
先ず以って、当作品を手掛けたのは東映ではあるが、厳密に言うと、東映京都撮影所内にあった東映京都テレビ・プロダクション。
しかも、「細山スタジオ」が東映と契約を交わすのは1971年まで待たねばならず(詳細は後日記載)、そもそも設立は1969年6月である。
勿論、放送期間だけを捉えれば、1969年6月からの後半約四ヶ月のみ、同作品が「細山スタジオ」で制作された可能性は、(現実的ではないにしろ)完全には否定出来ない。
しかし、まさにその期間、「細山スタジオ」は「小日向スタジオ」と呼称され、そこにいたのは松山容子ではなく、なべおさみ。
時間軸からしても辻褄が合わず、𡈽方工作氏も「やってないね」と明言されている。

尚、余談ではあるが、後年、内田有作(『東映生田スタジオ』初代所長)の述懐にしばしば登場するのが、〝赤弁〟で有名な「ふくや」(既閉店)。
『新婚さん旧婚さん』制作時、なべおさみも、その「ふくや」に足繫く通っていたという。
「繁忙時には、自ら厨房に入って手伝ってくれてましたよ(笑)」とは、元女将さんのコメント。

閑話休題。
1969年末、「細山スタジオ」では、ある劇場用作品の制作が始まる。
「『新婚さん旧婚さん』の次に、吉永小百合の『あゝ野麦峠』をやったんだ」(談/𡈽方工作氏)
もはや説明の必要はあるまい。
日本を代表する名女優、あの吉永小百合である。
しかし、その制作は、程無くして頓挫してしまう。
この一連の出来事が、前述一年間の空白を及ぼした理由の一つではないだろうか。

「細山スタジオ」開設一年前、内田有作の実父・内田吐夢は、自身の人生を振り返り著した「映画監督五十年」(1968年/三一書房)を上梓。
それを底本とした「内田吐夢 映画監督五十年」(1999年/日本図書センター)の巻末年賦(提供/内田有作)には、この件に纏わる大変興味深い記述が見受けられる。

「昭和44年(1969) 七十一歳 監督作品なし。吉永プロ製作『ああ野麦峠』吉永小百合主演に没頭する。僚友・八木保太郎脚本、宮島義勇撮影で一部実景ロケまで実施したが、製作費・脚本上の問題で中止の止むなきに至る」(原文まま)

進行については「一部実景ロケまで」とあるが、制作自体には「没頭する」と記されており、実際にセット撮影に至らずとも、スタジオにおいては多かれ少なかれ準備が進められていたはず。
2017年1月現在、当件に関する契約書の類は見つかっておらず、残念ながら具体的契約期間、及び解除時期は判明していない(但し、『新婚さん旧婚さん』の制作を考えると、賃貸開始は早くとも1969年10月)。
よって、あくまで憶測の域を脱し得ないが、事後処理など、この中止に伴う影響が1970年に入っても暫く続いたものと推測する。

尚、𡈽方氏によれば、当作品における制作費の管理に携わっていたのは、K氏なる人物。
そう、歌舞伎座テレビ室との契約時、仲介役を務めた人物である(Phase002参照)。
「『あゝ野麦峠』の時に、ギャラの取り分でK氏らが仲間割れを起こしたんだ。それで中止になってしまった」(談/𡈽方工作氏)
上記年賦にある「製作費の問題」とは、このことを示していると思われる。

因みに、関連書籍の中には、「細山スタジオ」開設経緯について、「内田の実父である映画監督・内田吐夢が映画「野麦峠」(最終的には製作をせずに終わった)のために作った」(原文まま)との記述も見受けられるが、実際はPhase001で記したとおり。
でなければ、歌舞伎座テレビ室との契約は説明がつかない。
また、内田有作(東映)が「細山スタジオ」と契約を結んだ経緯について、「彼は、実父である内田吐夢(映画監督)の伝手を頼って手に入れた」(原文一部改)と記された関連書籍もあるが、元ネタは、この『あゝ野麦峠』と考えてまず間違いない。

一年間の空白を及ぼしたもう一つの理由、及び『東映生田スタジオ』誕生の実際の経緯については、改めて記したいと思う。

『あゝ野麦峠』、完成していれば、「細山スタジオ」の歴史も大きく違ったのかもしれない・・・。


(主参考文献)
「映画監督五十年」(著/内田吐夢 1968年/三一書房)
「生きているヒーローたち 東映TVの30年 講談社ヒットブックス⑯」(1989年/講談社)
「テレビマガジン ヒーローグラフィックライブラリー② 仮面ライダー」(1995年/講談社)
「内田吐夢 映画監督五十年」(1999年/日本図書センター)
「不滅のヒーロー 仮面ライダー伝説」(著/岡 謙二 1999年/ソニー・マガジンズ)
「KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー Vol.1」(2004年/講談社)


(編集後記)
既述、大映が去った後、いよいよ内田有作登場、つまり『東映生田スタジオ』伝説の幕開けとなります。
しかしながら、当ブログ開設以来、硬い内容が続きましたので、Prologueでも示しましたように、次回から数回に渡り、『東映生田スタジオ』作品のロケ地について一部ご紹介したいと思います。


Phase003 End


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